シンガーソングライターや音楽プロデューサーとして活躍している宇多田ヒカルさん。
日本人離れした整った顔立ちもあいまって、宇多田ヒカルさんはハーフなの?クオーターなの?と注目を集めています!
アメリカ国籍という噂もあり、出身地や家族構成も気になりますよね。
- 宇多田ヒカルはハーフなのか
- 宇多田ヒカルはクオーターなのか
- 宇多田ヒカルはアメリカ国籍なのか
- 宇多田ヒカルの出身地や家族構成
詳しく調べてみました!
宇多田ヒカルはハーフじゃない!クオーター?
シンガーソングライターや音楽プロデューサーとして多くのファンを魅了している宇多田ヒカルさん。

魅力溢れる素敵な方だよね
その整った容姿は日本人離れしているとも思えますが、一部で「ハーフなの?」と噂になっているんです。
詳しく調べてみたところ、
宇多田ヒカルさんはハーフではありません!
詳しくは後述しますが、宇多田ヒカルさんのご両親は日本人なので、宇多田ヒカルさんも日本人。
ただ、
- 日本人離れした整った容姿
- 彫の深い顔立ち
- 英語が堪能
などから「ハーフ」の噂が立ったようです!

てっきりハーフだと思ってた~

ビジュ整いすぎだッピ
宇多田ヒカルさんは本名を「宇多田光(うただ ひかる)」さんといい、1998年にシングルCD「Automatic」でメジャーデビューしました。
1999年にはアルバム「First Love」を発表し、日本国内で約765万枚、海外を含めると約990万枚を売り上げる大ヒットに。

日本の歴代アルバムセールス1位という記録を持っているよ~
後述しますが、宇多田ヒカルさんはアメリカ・ニューヨークで生まれ、幼少期は両親の音楽活動の影響で東京とニューヨークを行き来する生活をしていました。
メジャーデビューする前に結成した家族3人のユニット「U3」では、当時10歳でボーカルとして参加していた宇多田ヒカルさん。
日本でのデビュー時には「15歳の帰国子女」というキャッチコピーで売り出され、圧倒的な歌唱力で社会現象にもなりましたよね!

それまでのJ-POPにはない曲調でびっくりしたッピ!
英語が堪能な宇多田ヒカルさんは、R&Bと日本のポップスを融合した音楽性で多くの人を魅了しています。
和と洋のバランスが絶妙な表現力を持っていることから、宇多田ヒカルさんはハーフではないかと噂されているのかもしれませんね!
クオーター?
ハーフの噂はあるものの、ハーフではなかった宇多田ヒカルさん。
さらに深掘りして調べてみたところ、
宇多田ヒカルさんはクオーターでもありません!

純ジャパってことだね
宇多田ヒカルさんの父親も母親も、日本で生まれ育った日本人。
そのため宇多田ヒカルさんはクオーターでもありませんね!
宇多田ヒカルはアメリカ国籍?
ハーフでもクオーターでもない宇多田ヒカルさんですが、アメリカ国籍ではないかという噂もあるんです。
調べてみたところ、
宇多田ヒカルさんは日本とアメリカの二重国籍だと思われます!

二重国籍は珍しいよね~
アメリカ・ニューヨークで生まれたときにアメリカ国籍を取得している宇多田ヒカルさん。

アメリカは出生地主義なので、出生すると自動的にアメリカ国籍が与えられるッピ!
ご両親は日本人なので、日本国籍も持っていると思われます。
2020年に「アメリカ大統領選の在外投票登録をした」とご本人が名言していることから、日本とアメリカ両方の国籍を維持している可能性が高いですね!
宇多田ヒカルの出身地はどこ?
ハーフでもクオーターでもない宇多田ヒカルさんですが、どこの出身なのでしょうか?
出身地はアメリカ・ニューヨーク市マンハッタンです!
宇多田ヒカルさんさんの出身地・アメリカ・ニューヨーク市マンハッタンは、多くの観光スポットがある街。
ニューヨーク市には5つの行政区があり、そのうちの1つであるマンハッタンは経済・文化の重要な拠点となっています。
世界的に有名な観光スポットも多く、
- エンパイヤ・ステート・ビルディング
- セントラルパーク
- ニューヨーク近代美術館
など、何度訪れても足りないほど魅力的な都市。

「摩天楼」と呼ばれるマンハッタンの高層ビルは絶景だよ~
宇多田ヒカルさんはニューヨーク市マンハッタンで生まれ、幼い頃から東京とマンハッタンを往復する生活をしていました。
マンハッタン北部にある「コロンビア大学バーナードカレッジ」へ、文学を学ぶため17歳で入学した宇多田ヒカルさん。
音楽活動との両立が困難になり2年次で中退しましたが、マンハッタンでの生活が宇多田ヒカルさんの音楽性に影響を与えたことは間違いなさそうですね!

宇多田ヒカルさんの楽曲は、文学作品から引用していることも多いんだッピ!
宇多田ヒカルの家族構成まとめ!
宇多田ヒカルさんの家族構成は、
「父・母・ご本人」の3人家族です!
詳しく深掘りしてみましょう。
父親は?
こちらの画像の中で紹介されている記事の右側の男性が、宇多田ヒカルさんのお父様の「宇多田照實(うただ てるざね)」さんです。↓
山口県出身で音楽プロデューサーであるお父様は、16歳でアメリカに渡った経験があり英語が堪能とのこと。
幼い頃から宇多田ヒカルさんの才能を見出していたお父様は、宇多田ヒカルさんのデビュー曲「Automatic」をプロデュースしています。

お父様のプロデュースの能力が宇多田ヒカルさんの楽曲に影響していたのかな~
宇多田ヒカルさんとお父様は、仕事での対立や親子関係の断絶などが報じられた時期もありました。
家族で仕事をすることの難しさを感じていたそうですが、感謝の気持ちを言葉にしている宇多田ヒカルさん。
「私がありがとうって言いたい人たちが2人いるんだけど。私を産んで育ててくれた母親と父親にありがとうと言いたくて(中略)家族と仕事すると、いいことも悪いこともいろいろある。父親とはよく会うんだけど、なかなか照れくさくて言えないから。ちょっと贅沢だけど、この場を借りて、20年間ありがとうと言わせてください」
お父様は2018年頃からは健康上の理由で音楽業界から一線を退き、その後は宇多田ヒカルさんを間接的に見守っているとのこと。
過去の確執を乗り越えた宇多田ヒカルさんは、定期的にお父様に連絡を取っているそうですよ!

プロデューサーとしてだけではなく、きっと父親としても感謝しているんだッピ!
母親は?
宇多田ヒカルさんのお母様は、歌手の「藤圭子(ふじ けいこ)」(本名:宇多田純子)さんです。
先ほどお父様の記事でも紹介しましたが、画像の中央でお父様の隣にいらっしゃる女性がお母様です。↓
岩手県出身のお母様は、演歌歌手として1969年に「新宿の女」という曲でデビューしました。
独特のハスキーボイスや暗い情感の曲調でブレイクし、「昭和の歌姫」、「夜の歌姫」と呼ばれたお母様。

宇多田ヒカルさんには自分と同じ演歌ではなく、洋楽やロックを勧めていたんだって~
2013年、お母様は62歳のときに新宿のマンションから転落して亡くなりました。
精神的な病を抱えていたお母様をずっと見ていた宇多田ヒカルさんですが、思い出すのはお母様の笑顔だそう。
「誤解されることの多い彼女」だったというが、実際には「誰よりもかわいらしい人」で、「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女」「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と話している。
ミュージシャンになってほしいというお母様の期待を、幼い頃から感じていた宇多田ヒカルさん。
お母様の思いを理解し、期待に応えているという感覚が宇多田ヒカルさんの楽曲に影響しているのかもしれません。
「母の死は私の一部になった」とコメントしていることから、悲しい記憶を乗り越えて前へ進んでいるのでしょう。

追悼ライブでは「First Love」を歌唱して思いを捧げているんだッピ!
現在の家族は?
宇多田ヒカルさんは2014年にイタリア人の「フランチェスコ・カリアーノ」さんと結婚し、翌年に息子さんが誕生しました。
2025年現在、イギリス・ロンドンで息子さんと2人暮らしをしています。

2018年に離婚してからはシングルマザーだよ
イタリアと日本のハーフである息子さんの情報は公開していませんが、宇多田ヒカルさんのインスタグラムの画像に息子さんの後ろ姿がありました。↓
息子さんとの日常を大切にし、音楽活動と子育てを両立している宇多田ヒカルさん。
母親としての感覚が楽曲に彩りを加えているそうですので、宇多田ヒカルさんにとって息子さんの存在がとても大きいことがわかりますね!

作詞や日本語への向き合い方に変化があったんだッピ!
「ハーフ」の噂はあったものの、実際は違った宇多田ヒカルさん。
様々な経験から描かれる歌詞やメロディーは多くの人の心に響き、国境を越えて愛され続けるでしょう。
ハーフやクオーターではありませんが、その素敵な生き方をこれからも応援しています!