インドネシア元大統領夫人で、現在はタレントとして活躍しているデヴィ夫人。
日本人離れした整った顔立ちもあいまって、デヴィ夫人はハーフなの?クオーターなの?と注目を集めています!
出身地や家族構成も気になりますよね。
- デヴィ夫人はハーフなのか
- デヴィ夫人はクオーターなのか
- デヴィ夫人がハーフ顔なのはなぜか
- デヴィ夫人の出身地や家族構成
詳しく調べてみました!
デヴィ夫人はハーフじゃない!クオーター?
インドネシア元大統領夫人で「国際文化人」として、またタレントとして多くのファンを魅了しているデヴィ夫人。
高貴なオーラを纏った素敵な方だよね
その整った容姿は日本人離れしているとも思えますが、一部で「ハーフなの?」と噂になっているんです。
詳しく調べてみたところ、
デヴィ夫人はハーフではありません!
詳しくは後述しますが、デヴィ夫人のご両親は日本人なので、デヴィ夫人のルーツは日本人。
ただ、
- 日本人離れした整った容姿
- 彫の深い顔立ち
- インドネシア元大統領との結婚等経歴がインターナショナル
などから「ハーフ」の噂が立ったようです!
てっきりハーフだと思ってた~
ビジュ整いすぎだッピ
デヴィ夫人はインドネシア国籍で本名は「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」ですが、これはスカルノ大統領と結婚後、デヴィ夫人が22歳の時に日本からインドネシアに帰化したから。
インドネシア人としての本名は、スカルノ大統領から直々に贈られた名前で、「宝石の妖精」という意味なんだそう!
帰化前の日本名は「根本七保子(ねもと・なおこ)」でした。
クオーター?
ハーフの噂はあるものの、ハーフではなかったデヴィ夫人。
さらに深掘りして調べてみたところ、
デヴィ夫人はクオーターでもありません!
ルーツは純ジャパってことだね
デヴィ夫人の父親も母親も、日本で生まれ育った日本人。
ご両親の国籍は日本のようなので、デヴィ夫人はクオーターでもありませんね!
デヴィ夫人がハーフ顔なのはなぜ?
デヴィ夫人はハーフやクオーターではありませんが、そう言われる理由の1つとして
日本人離れした整った顔立ちでハーフ顔に見えること
が挙げられます!
年齢を重ねた今でもハーフ顔だよね~
デヴィ夫人がハーフ顔なのはなぜか、以下の理由が考えられます!
- 両親も彫りの深い整った容姿をしていたから
- 幼い頃から外国に憧れ、海外の文化や価値観を学んでいたから
- 海外生活が長く、メイクが影響を受けたから
詳しく見てみましょう。
理由①両親の容姿
デヴィ夫人がハーフ顔と言われる1つ目の理由は
両親も彫りの深い整った容姿をしていたから
です。
デヴィ夫人の両親は日本人ですが、お二人の若い頃の写真がテレビで公開されたことがあります。
その写真に写るデヴィ夫人の両親は、ぱっちりとした目や彫りの深さが印象的な美男美女でした!
白黒写真でも際立つ整った顔立ちの両親から生まれたデヴィ夫人ですから、目鼻立ちがくっきりした容姿をしているのも納得できます。
恵まれた容姿もご両親からのプレゼントのひとつだッピ!
理由②海外文化への憧れと学び
デヴィ夫人がハーフ顔と言われる理由の2つ目、それは
幼い頃から外国に憧れ、海外の文化や価値観を学んでいたから
です。
幼い頃から外国に憧れを持っていたデヴィ夫人。
ヨーロッパ文学を読んでは主人公になりきる程没頭し、外国の方と文通するために英語を猛勉強するなど、日本にいながらにして海外の文化を取り入れていったそうです。
またあるインタビューでは、「Screen」という雑誌を読みながらハリウッド女優の写真の撮られ方、メイクの仕方などを研究していたと述べています。
海外の文化や価値観に多く触れることにより、日本独自の文化にとらわれない自分の魅せ方を身に着けていったことが、ハーフのような海外風の顔つきにも表れていったのではないでしょうか。
理由③外国の影響を受けたメイク
3つ目の、デヴィ夫人がハーフ顔と言われる理由は
海外生活が長く、メイクが影響を受けたから
です。
19歳でインドネシアに渡り、スカルノ大統領の第三夫人となったデヴィ夫人。
インドネシアのジャカルタを始め、パリ、スイス、ニューヨークなど、20代から50代の大半は海外に拠点を置いて生活していました。
大統領夫人として、またパリの社交界や石油ビジネスの世界で様々な人と関わっていく中で、より自分の美しさを際立たせる努力を重ねた結果、メイクが海外の影響を受けたことが考えられます。
生まれ持った容姿と美しくなるための努力がハーフ顔に繋がったんだね!
デヴィ夫人の出身地はどこ?
ハーフでもクオーターでもないデヴィ夫人ですが、どこの出身なのでしょうか?
出身地は東京都港区西麻布です! ※旧・東京都東京市麻布区
デヴィ夫人の出身地・東京都港区は、千代田区・中央区とともに「都心3区」とも言われる日本の中心地。
特に麻布エリアは、各国の大使館が多くある国際的なエリアで、2023年には日本一高いビルを含む複合施設「麻布台ヒルズ」が開業。
日本を代表する街のひとつとして、発展を続けています。
まさに日本の中心地!憧れる~
ただ、デヴィ夫人の幼少期は太平洋戦争の真っ只中で、麻布エリアも空襲で大きな被害を受けました。
デヴィ夫人は幼い頃の経験として、空襲警報が鳴り響く中避難したことや、戦後の焼け野原の中で食べ物を手に入れるために苦労したことなどをインタビューで語っています。
デヴィ夫人の家族構成まとめ!
デヴィ夫人の家族構成は、
「父・母・ご本人・弟」の4人家族です!
詳しく深掘りしてみましょう。
父親は?
デヴィ夫人の父親は「根本兵七郎(ねもと・へいしちろう)」さん。
大工の棟梁として働いていて、戦争中は家族が疎開する中ひとり東京に残ったり、戦後も豊かとは言えない暮らしを強いられたりと、大変な苦労を経験されたようです。
残念ながら、デヴィ夫人が高校1年生の頃に兵七郎さんは亡くなりました。
一家の大黒柱を失った根本家の家計を支えるため、デヴィ夫人は高校を中退し、赤坂にある高級サパークラブ「コパカバーナ」で働き始めます。
「コパカバーナ」のお客様は外国の方が多く、デヴィ夫人の英語力もどんどん磨かれていったんだって!
母親は?
デヴィ夫人の母親は「根本政子(ねもと・まさこ)」さん。
福島県双葉郡浪江町出身で、戦時中は当時まだ幼かったデヴィ夫人と弟の二人の子ども達と共に浪江町へ疎開したこともあるそうです。
子どもの頃のデヴィ夫人は絵を描くのが得意だったそうで、その才能を伸ばすため、お母様が内職をして得たお金で絵の先生をつけてもらったことがあったんだとか!
愛娘の可能性を信じてサポートしてあげてたんだね!
愛情たっぷりのママだッピ!
お母様は元々病弱だったことに加え、インドネシアへ渡ったデヴィ夫人に係るマスコミのバッシング記事で心労を重ねてしまい、残念ながらデヴィ夫人が22歳の頃に亡くなりました。
弟は?
デヴィ夫人には弟が一人いて、お名前は「根本八曾男(ねもと・やそお)」さんです。
早稲田大学に通われていたそうなので、とても賢い方だったことでしょう。
しかし、母親の政子さんが亡くなってわずか2日後に、八曾男さんも亡くなってしまいます。
弟の死についてデヴィ夫人はインタビューでこのように答えていました。
自殺でした。いろんなことがあって、心に病を抱えていたようです。母と弟を守れなかったことは、悔やんでも悔やみきれないし、償っても償いきれません。
成功には犠牲が付きものだと言いますが、私は母と弟を犠牲にしてしまいました。大きな犠牲でした。私は一生、十字架を背負っていかなければならないと思っています。
AERA dot.(週刊朝日)より
デヴィ夫人の凛とした生き様の裏には、若い時に別れてしまった家族への想いがあるのですね…。
「ハーフ」の噂はあったものの、実際は違ったデヴィ夫人。
ハーフやクオーターではありませんが、自分を磨くための努力を惜しまない、その素敵な生き方をこれからも応援しています!
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