俳優として活躍している市原隼人さん。
日本人離れした整った顔立ちもあいまって、市原隼人さんはハーフなの?クオーターなの?と注目を集めています!
出身地や家族構成も気になりますよね。
- 市原隼人はハーフなのか
- 市原隼人はクオーターなのか
- 市原隼人の出身地や家族構成
詳しく調べてみました!
市原隼人はハーフじゃない!クオーター?
真面目でストイックなイメージで多くのファンを魅了している市原隼人さん。
市原隼人さん主演の『おいしい給食』観た?
観たッピ!
市原隼人さんがぶっ飛んでて面白すぎ!
共演者の方も噴き出してしまってNG続出だったらしいッピ!
その整った容姿は日本人離れしているとも思えますが、一部で「ハーフなの?」と噂になっているんです。
詳しく調べてみたところ、
市原隼人さんはハーフではありません!
詳しくは後述しますが、市原隼人さんのご両親は日本人なので、市原隼人さんも日本人。
ただ、
- 日本人離れした整った容姿
- 彫の深い顔立ち
- 子供時代の天使すぎる写真
などから「ハーフ」の噂が立ったようです!
市原隼人さんは、33歳のお誕生日の時にインスタでご自身の子供時代の写真を投稿されています。
やばいっっ!
可愛すぎる!
今はワイルドだけど、この頃は天使ッピ
この写真について
この市原の投稿に「幼少期からイケメンですね相変わらず」「何歳の時の写真ですか?ハーフっぽい顔ですね」「顔だけじゃなく言葉も素敵です。初心を忘れず。良い言葉です」といった返信が寄せられている。
livedoor News
と取り上げられていました。
クオーター?
ハーフの噂はあるものの、ハーフではなかった市原隼人さん。
さらに深掘りして調べてみたところ、
市原隼人さんはクオーターでもありません!
映画『空母いぶき』の試写会でご本人が「日本人」と言われていました。
日本人として、日本で活動する俳優として、この作品にめぐり合えたことを誇りに思います。大切なもののために命を懸けることが良いことなのか、悪いことなのか、美しいことなのか、酷とみるのか、まだ分かりません。ですが、自分の中に湧き出る大和魂や愛国心をかき立てられる大切な作品となりました。
STARDUST WEB
コメントも熱い!!
また、市原隼人さんのお父様もお母様も、日本で生まれ育った日本人。
国籍は日本のようなので、市原隼人さんはクオーターでもありませんね!
市原隼人の出身地はどこ?
ハーフでもクオーターでもない市原隼人さんですが、どこの出身なのでしょうか?
出身地は神奈川県川崎市です!
市原隼人さんの出身地・神奈川県川崎市は、川崎工場で有名な街。
幻想的な景色が広がる工場夜景のスポットの中で、ここ川崎工場は日本を代表するスポットですよね!
昼とは全く違う姿を見せてくれる幻想的な工場夜景の姿は圧巻で、今やツアーやクルーズが行われるほどの人気っぷりです。
川崎市は政令指定都市の1つです。
面積は小さいながら人口密度が高く、川崎市と東京都の間には一級河川である『多摩川』が流れており、沿岸は緑豊かなので、都市部にいながら大自然にいる雰囲気が味わえます。
政令指定都市って、都道府県が大都市に権限・財源を譲ってスピーディーな行政サービスを提供しようという目的で作られた制度なんだって!
市原隼人さんは東京新聞で”川崎愛”について語っておられます。
僕は墓に入るまで川崎っ子だと思います。ありのままの背伸びをしなくていい、自分が帰る場所。いつまでも大切にしたい場所なんです。好きです、川崎。愛の街、です!
東京新聞
『好きです かわさき 愛の街』は川崎市の歌で、川崎市内を巡回するごみ収集車が作業中に流している曲だッピ!
市原隼人の家族構成まとめ!
市原隼人さんの家族構成は、
「父・母・姉・ご本人」の4人家族です!
詳しく深掘りしてみましょう。
父親は?
こちらが市原隼人さんのお父様です↓
市原隼人さんのお父様は一般の方でお名前など詳しくはわからなかったのですが、出身地は四国と以前MBS毎日放送の番組の『ごぶごぶ』に出演されたときにおっしゃっていたそうです。
そして、市原隼人さんのお父様は若い頃、10数年アメリカのサンティエゴにお住まいだったとか・・・
エンジニアとして働いていらっしゃったみたいです。
市原さんが旧いアメリカ車に憧れるのは、クルマ好きだった父親の影響もあるのだろう。
若い頃は10数年間サンディエゴに住み、フォードの「グラン・トリノ」に乗っていたという父とのドライブは、市原少年にとっての楽しみだった。
GQ JAPAN
また、お父様は生粋のスポーツマンで、礼儀などには厳しい方だったとか・・・
お父様の教えは
- 「挨拶はデカい声でしろ」
- 「人が寝ている間も10倍努力しろ」
- 「字ははみ出るぐらい大きくかけ」
だったそうです。
しかし、幼少期にはキャッチボールをしたり、一緒に走ったり、はたまた肩車をしてもらって帰ったりと優しいお父様だったみたいです。
思い出の場所といえば多摩川河川敷。晴れていたら父とキャッチボール、日が暮れても「まだキャッチボール、やりたい!」とお願いしたり。ランニングも好きだったので、土手を一緒に走ることもありました。父は笑顔でずっと遊びに付き合ってくれました。かまくらが作れるぐらい雪が降ったときは、鼻を真っ赤にしながら、時間を忘れて作ったり。
東京新聞
そんな厳しいながらも愛情たっぷりのお父様の教えが市原隼人さんの土台を作ったのではないでしょうか。
しかし、市原隼人さんが20歳ぐらいの時に脳梗塞を発症し左半身不随の後遺症が残ってしました。
その後も再発をし通算3度も脳梗塞になられ、今は車椅子生活を送られているそうです。
上記のインスタのコメントでも述べられているように、車いす生活になってしまったお父様が謝ることに対して、
『悪いことでも、かっこ悪いことでもない。
それでも白い目で見られるのであれば社会が間違っている。』
とはっきりと言える市原隼人さん。
ほかにも市原隼人さんは、車いすバスケットボールを題材としたドキュメンタリー映画『THE REBOUND』の特別上映イベントに特別ゲストとして参加されたときにも、障がい者の方との垣根がなくなることを願っているということを熱く語られていました。
僕もそんな社会になってほしいと思う!
母親は?
続いて、こちらが幼い頃の市原隼人さん、お母様、お父様の写真です(お母様は2枚目のお写真。3枚目はお父様です)↓
市原隼人さんのお母様も一般人のため、詳しいことはわからなかったのですが、お父様同様「ごぶごぶ」で京都出身とおっしゃっていたそうです。
お料理が上手だと噂される市原隼人さんですが、お料理好きになったきっかけはお母様の影響だとか・・・。
食べたいッピ!
器も並べ方もおしゃれすぎるッピ!
子どもの頃はキッチンが遊び場でした。僕が3歳とか2歳の頃から、『あんた油の中で泳いでたのよ』って母がよく言っていました。母が怒らずにキッチンで自由にさせてくれたんです。僕が小学生ぐらいになっても、怒らずに一緒にいつも料理を作ってくれたんです。キッチンは大好きなお母さんと一緒にいられる時間でしたし、その時間が僕はすごく好きだったんです。そこから自然と大人になっても料理をすることが好きになったんだと思います。本当、自由にぐちゃぐちゃにさせてくれましたね(笑)
Hint-Pot
子供に自由にぐちゃぐちゃにさせるってなかなか出来ることじゃないんだよねぇ~
市原隼人さんが育ち盛りの時、お母様から「ご飯を食べさせておけば悪いことしないから」ととにかくたくさん食べさせられていたそうです(笑)
しかも、結構豪快なお母様らしくカレーライスを作る際、ジャガイモは半分、にんじんは三等分、皮も剥かずに大きい具材を鍋にポンっと!
そんな豪快な料理ですがとてもおいしいと市原隼人さんに言わしめてました。
豪快だろうが何だろうが、愛情のスパイスがたっぷりなんだッピ!
姉は?
市原隼人さんのお姉さまについては、3歳上という情報以外なにも公表されていませんでした。
あのお父様とお母様の子で、市原隼人さんが弟ということはきっとお美しいお姉様なんだろうなぁ・・・
「ハーフ」の噂はあったものの、実際は違った市原隼人さん。
ハーフやクオーターではありませんが、その素敵な生き方をこれからも応援しています!
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